5月1日のNHKの朝ドラ『エール』に3月に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった志村けんさんが小山田耕三役で出演。今回は、志村けんさんの役名とモデルになった人物と、今後の代役についてまとめました。
エール25話に志村けんが出演!役名は?

志村けんさんは、日本を代表する西洋音楽の作曲家・小山田耕三役で、登場します。
志村けん初登場は、エール25話
三郎(唐沢寿明)から届いた電報を読んだ裕一(窪田)や音(二階堂ふみ)たちは、三郎が無事福島の家族を説得できたと理解して安堵。
そして、いよいよ興行主・鶴亀寅吉(古舘伊知郎)からの持ち込み企画で行うことになった演奏会当日を迎える。
これまで準備を進めてきた2人は緊張しながらも、豊橋のホールでそれぞれの音楽を披露。
演奏会のことは新聞でも取り上げられ、それを読んでいたのは意外な人物だった…。

この裕一が取り上げられた新聞を読んでいた意外な人物が、志村けんさん演じる小山田耕三(おやまだ こうぞう)だね。

小山田耕三のモデルは誰なのかしら?
小山田耕三(志村けん)のモデルは誰?
小山田耕三は、日本を代表する西洋音楽の作曲家。
主役・裕一の作曲へのずば抜けたセンスに気付き、コロンブスレコードに専属作曲家として推挙します。
ここから考えると『エール』のなかでも重要なポジションだといえると思います。
志村けんさんが演じる小山田耕三のモデルは誰なんでしょうか?
欧米でも名前を知られた最初の日本人音楽家、作曲家の山田耕筰さんです。
山田耕筰さんといえば、「赤とんぼ」「待ちぼうけ」「この道」「からたちの花」といった童謡なんかが馴染み深いですよね。
山田耕筰の経歴は?
山田耕筰さんの経歴は、1886年に東京都文京区下に生まれる。姉の夫のエドワード・ガントレットに西洋音楽の手ほどきを受ける
1908年、東京音楽学校(後の東京芸術大学)声楽科を卒業。
1910年から3年間、ドイツのベルリン王立芸術アカデミー作曲科に留学。
帰国後の1914年(大正3年)に、岩崎が1910年に組織した東京フィルハーモニー会の管弦楽部首席指揮者を任される。
その後、日本語の抑揚を活かしたメロディーで多くの作品を残しすなど、日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めました。
裕一のモデルとなった古関裕而の恩人なので、ドラマに深く関わってくるのではないのかと推測します。
残念なことに、小山田耕三を演じる志村けんさんが3月下旬に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなってしまいました。
代役を立てるのでしょうか?
志村けんの代役は誰?

志村けんさんの代役が誰になるのかきになるわ。

4月30日現在、代役について発表はありません。
もしかしたら小山田耕三の出番を減らすような脚本に変えるのかもしれません。
代役を立てるとすれば、志村けんさんと親交も深い名俳優・柄本明さんでは?とも言われています。
わかり次第、追記します。
【追記】
志村けんさんの代役は、立てないようです。
1日の放送直後に同局「あさイチ」に生出演した近江友里恵アナウンサー(31)は、「すごい引き込まれました」と涙。
ネット上にも感動や絶賛の声が殺到したものの、志村さんの撮影分は少なく、亡くなった当初は代役が検討されていた。
だが、その熱演と共演者との調和、視聴者の反応を総合的に考慮した結果、代役を立てないことで正式に決まった。サンスポより引用
志村さんの、最初の登場シーン思い出しました。
少し暗い部屋の中で、白いワイシャツを着て、その姿がまるでライトアップされているかの様に浮かび上がって、何か崇高な感じがしたのを覚えてます。
僅かワンカットで、全てを持って行く感じの存在感だったので、これからの事を思えば残念ですが、出演継続の関わりがどの様に展開していくのか楽しみにして最後まで見届けたいと思います。
志村けんのプロフィール
志村けんさんは、1950年2月20日生まれ、東京都東村山市出身です。
・1968年にザ・ドリフターズの付き人になる。
・1972年にザ・ドリフターズに加入。
・その後、『8時だヨ!全員集合』で「東村山音頭」などで人気を博す。
“バカ殿様”、“変なおじさん”などの人気キャラクターも愛される、日本を代表するコメディアンとなる。
2020年3月、死去(享年70歳)。
志村けんの出演作
志村けんさんは、コントに命を懸けていたので、映画出演は高倉健さん主演「鉄道員」、ドラマ出演はありません。
最後に
志村けんさんのコントやドリフを見て育った世代としては、志村けんさんの早すぎる死に言葉がありません。
晩年は俳優として活躍された、いかりや長介さんように俳優・志村けんを楽しみにしていましたので、残念でなりません。
心よりご冥福をお祈りします。